かつては素性も知られぬ父母の下で生まれ育った木下藤吉郎秀吉。その知略でもって昇り龍の戦国大名・織田信長の下で名を上げ、丹波摂津を治める大大名へと成長する。
信長死後は織田家中における存在感をさらに高め、1586年には信長の後継者・信雄を臣従させて天下を握る。
その勢いは止まることを知らず、次いで1590年までには西国の全域を支配下に。
同年夏には仇敵・武田への侵攻を開始し、翌年夏にはこれを撃破。
北条も屈服させ、日ノ本の大半が秀吉の支配に服することとなった。
天下統一目前の丹佐秀吉。
その生涯も間も無く、終わりの時を迎えようとしつつあった。
その上で、彼の目は、天下統一の更なる向こう、遥か遠き海の向こうへと注がれていた。
Crusader Kings Ⅲ Shogunate AAR 「戦国」編第二部最終章。
「朝鮮出兵」編、開帳。
目次
※ゲーム上の兵数を10倍にした数を物語上の兵数として表記しております(より史実に近づけるため)。
Ver.1.12.5(Scythe)
Shogunate Ver.0.8.5.6(雲隠)
使用DLC
- The Northern Lords
- The Royal Court
- The Fate of Iberia
- Firends and Foes
- Tours and Tournaments
- Wards and Wardens
- Legacy of Perisia
- Legends of the Dead
使用MOD
- Japanese Language Mod
- Shogunate(Japanese version)
- Joseon (Shogunateの朝鮮半島拡張)
- Joseon JP Translation
- Japanese Font Old-Style
- Historical Figure for Shogunate Japanese
- Nameplates
- Big Battle View
- [Beta]Betray Vassal(JP)
- Battleground Commanders
前回はこちらから
天下統一
丹佐秀吉がその圧倒的な軍事力で武田を征服し、北条を臣従させ関東の支配権を得たのと同じ時期。
北方では羽州の支配者・最上義光と、奥州の支配者・石川信直とが、激しい勢力争いを繰り広げていた。
この戦いは仕掛けた側である最上義光が返り討ちに遭うと言う形で終結したものの、最上はここから秀吉に臣従を誓う代わりに逆襲を請願。
秀吉もこれに応え、天下統一の最終仕上げ、「奥州仕置き」を実行に移す。
羽前国・尾浦城。丹佐軍本陣。
総司令官として前線に出向いていた秀吉のもとに、秀吉の代理として在京していたはずの弟の秀長が訪問していた。
「何だ、小一郎。わざわざお前自ら来るとは。新たに任地となった甲斐信濃の視察も兼ねてかの」
「それも無いわけではないですが・・・それ以上に、内密にお耳に入れたいことが」
そう言うと秀長は周りを警戒しつつ秀吉に近づき、声を顰めて報告する。
「ーー関白殿が、もはや長くない、とのこと」
「ほう」
秀吉もその眉を吊り上げ、表情を強張らせる。
「――工作の方は」
「首尾よく。その時が来たならば、予定通り事が運ぶこととなるでしょう」
「左様か」
秀吉は小さく息を吐く。
近衛前嗣。五摂家筆頭の名門貴族に生まれ、関白職も任じられたこの国の公権の頂点に立つ男。秀吉は信長とも親交が深かった彼に接近し、自らの後継者である丹佐秀門と前嗣の娘と結婚させ、秀門を前嗣の猶子にもしている。
これで近衛家の「親族」となった秀吉は以後藤原姓を名乗り始めるが、合わせてこのときすでに晩年を迎えつつあった前嗣の「後継」として秀門を、そしてその中継として自らを「関白」とするよう工作を進めていたのである。
そして、それは実現する。
1593年9月26日。闘病虚しく、近衛前嗣が遠行。
これを受け、翌10月11日。秀吉は狙い通り関白宣下を受けることに。
そしてさらに翌1594年1月22日。秀吉は後成務天皇から豊臣の姓を賜り、太政大臣に就任。
折よく奥州の仕置きも完了し、惣無事の布告を全国に発令した。
かくして、ここに「天下人・豊臣秀吉」が誕生する。
天下は名実ともに、豊臣=丹佐のものとなったのである。
だが、秀吉はそれでは満足しない。
彼は天下統一のその「先」を見据えていた。
それはかつての主君・織田信長も構想していた事績。
すなわち、「唐入り」構想――明国の征服である。
出航
1594年4月。
阿波国・勝瑞城に在する四国の大名浅井長政のもとに、大坂からの使者が訪問していた。
「――かくの如し。ご承知の程、宜しく奉らん」
使者が退室した頃を見計らって、弟の治政が入室する。
「兄者ーー」
呼びかけて、治政は気がつく。いつも豪胆な兄が、その恵まれた体躯を震わせていることに。
「兄者・・・一体、如何なる御用件だったので?」
治政の声に、長政はようやくその存在を気づいたかのように、顔を上げ弟の姿を見やる。
「仁兵衛か・・・」
憔悴しきった様子の長政は、ため息と共に口を開く。
「殿下より、新たなる軍役を賜った」
「新たなる軍役?」
治政は驚きの声をあげた。
「既に日ノ本は全て、豊臣の威光の下に収まったはず。真逆、叛乱の兆しが?」
「いや・・・」
治政の言葉に、長政は濁すような口調で返す。
「日ノ本は落ち着いている。我らが向かうべきと指し示されたのはその外ーー
ーー朝鮮、そしてその先にある明国だ」
「明国・・・」
治政は言葉を失う。確かに、以前より関白殿下が外征、即ち「唐入り」を企図していることは噂されてもいた。しかしそれはいつも大袈裟な大坂の商人が流布する荒唐無稽な流言であり、まさか現実のものになるとは、誰一人信じてなどいなかったはずだ。
「何故・・・」
「分からん」
弟の言葉に、長政は小さく首を振って応える。
「だが、理由を問うても仕方あるまい。我ら浅井は、関白殿下により命を拾われた身であり、其れ諮りかこうして四国全域を治めさせて戴く栄誉にも預かっている」
「その殿下が命じられるのであれば、我々は地の果てだろうが馳せ参じる所存。それが浅井たる者の運命だ」
治政は言葉もなく兄を見遣る。その表情は、言葉とは裏腹に、何かに耐えるような強張りを見せてもいた。
やがて、長政はすっくと立ち上がる。その時にはもうその表情に昏いものは何一つなく、いつもの毅然とした眼差しに代わっていた。
「仁兵衛、お前は四国に残り、家中を纏めよ。此度は儂と新六*1のみ、出向く」
「兄者、それはーー」
言いかけた治政に長政は優しい微笑みを向け、その逞しい手を弟の肩にかける。
「万が一、我が身に不慮の事態が巻き起こりし時は、お前が浅井を護るのだ。そしてその際には、決して殿下への忠誠を忘れることなく、豊臣に尽くすことを誓え」
兄の言葉に、治政はただ神妙に頷くしかなかった。
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1594年5月。
北九州、肥前の国に名護屋と呼ばれる土地あり。山と沼のみの荒れ地でありながら、関白殿下の威光は僅か半年足らずでこの地を華やかなる都へと変貌させてしまったという。
そしてここが、豊臣政権による、朝鮮及び明国に対する大侵略戦争の「出航地点」となったのである。
総勢15万に及ぶ豊臣渡海軍の陣容は以下の通り。
まずは一番隊。総大将は浅井左近衛中将長政。
その寄騎として、大崎義隆、長宗我部信親、長尾信綱、蠣崎慶広、伊達輝宗、総勢5万2千。
続いて二番隊。総大将は島津左近衛少将義弘。
寄騎として、小幡信貞、島左近、長宗我部元親、三浦貞勝、総勢4万6千。
最後に三番隊。総大将は最上大蔵少輔義光。
その寄騎として、最上則義、毛利輝元、石川信直、姉小路頼綱、総勢5万5千。
全国津々浦々から集められた古今無双の勇士たちが、ここ名護屋に結集しつつあった。
そしてついに、1594年9月2日。
天下人・豊臣秀吉は、「唐入り」のための前哨戦として、その先導役を拒否した朝鮮に対し、宣戦布告を果たす。
それと同時に名護屋の地より、総勢15万の豊臣渡海軍が一斉に玄界灘へと船を進めた。
かくして、白村江の戦い以来となる日本国による対外戦役・朝鮮出兵が幕を開ける。
朝鮮出兵
1594年10月3日。一番隊及び二番隊は対馬に到達。宗義智と合流し、その先導を受けて11月4日の午前8時、およそ700隻の大小軍船で対馬・大浦を出航する。
同日午後2時過ぎ。一番隊が合浦、二番隊が金海に上陸。三番隊もほぼ同時期に固城に上陸する。
それぞれがそれぞれの城主に降伏開城と首都・漢城への案内、そして朝鮮国王に降伏と征明への協力を求めさせるよう最後通牒を突きつけるも、いずれもこれを無視。
日本軍側は直ちに総攻撃を仕掛け、わずか数ヶ月で晋州府大半の各諸城は豊臣軍の手に落ちることとなる。
晋州府の府尹・沈乙慶は慌てて陥落する城から逃れ、漢城に到達。
その状況報告を、李氏朝鮮第14代国王宣祖こと李昖は青褪めた顔で受け取ることとなった。
「陛下、此度は余りにも凶悪なる倭人の襲来。長らくの平和を享受してきた我が国の軍隊では為すすべも御座いませぬ」
府尹の言葉に、李昖はただ頷くのみ。「其の方の申す通りだ。斯くなる上は、この漢城まで倭軍の襲来を許し、都を棄てる等という醜態を見せる前に、明に助けを求める他あるまい。直ちに遣いを出せ!」
一方、順調に侵攻戦を進める豊臣軍は、翌1595年6月までに星州・金泉まで落城させ、慶尚南道ほぼ全域の支配権を得るに至っていた。
朝鮮軍の抵抗らしい抵抗はなく、快進撃を見せる征朝軍。一番隊を率いる長政のもとには、朝鮮王からの「白紙和平」の提案が度々訪れるも、長政はこれを一笑に付し、すぐさま握り潰す。
だがそんな豊臣軍たちの前に、ついにその軍勢は姿を現した。
「ーー何? もう一度言ってみろ」
伝令の言葉に耳を疑い、長政は思わず聞き返す。伝令は震えた声で同じ言葉を繰り返した。
「み、明軍、総勢・・・は、八十万にも及ぶ見たこともない大軍勢にて・・・ここ金泉に向かってきております」
長政は息を呑む。そこに、二番隊と三番隊の大将もやってくる。
「如何に為すべきか。確かに恐ろしき軍勢なれど、ここで退かば我々は何も得ず帰ることになりかねん」
二番隊総大将・島津義弘の言葉に、「そうはいくまい」と長政は頷く。
「幸いにもここは急峻なる山中。いかに多勢と言えど、地の利を活かさば迎撃も能うだろう。敵は遥か遠き明からの遠征軍。この数の兵を食わせるほどの兵糧も十分ではないはずだ」
「そして何より、我々は百年に及ぶ戦国の世を生き抜いてきた兵たち。軟弱なる異国の輩に敗北する理由など微塵たりともありはしないッ! 我らが力、見せつけてやろうぞ――良いなッ!」
長政の威勢に応え、15万の精鋭たちが一斉に吼える。その轟声は、山の麓に至る大明軍80万にも恐らくは届いたであろう。
そして1595年8月19日。
豊臣軍15万vs明・朝鮮連合軍78万による大激戦が幕を開ける。
激しいその戦いは、東に太陽が昇ってから西に太陽が沈みかけるまで続いた。途中で朝鮮軍も加わり敵兵は83万に至るほどであったが、わずか15万の豊臣軍はこれを見事蹴散らし、23万もの敵兵の屍をその大地に流し込んだ。のちに人びとはこの戦いを振り返って「血泉の戦い」と称したという。
この戦いの勝利の報せは、数か月の遅れをもって名護屋にもたらされ、在陣していた豊臣秀吉をこの上なく慶ばせたという。
天下を統一せしめたその威光と軍勢でもって、遥か大海を渡り異国の地をも征服せしめる――そんな、荒唐無稽たる偉業を、豊臣秀吉という男は実現してしまえるというのだ。
「―――ハ、ハハハ、ハハハハハハハ・・・!!!」
――だが。
間もなくして、その喜色を曇らせる報せがもたらされる。
1595年12月。
金泉での勝利に気をよくした豊臣軍はさらに軍を進め、漢城を間近に控えた天安の地に集まっていた明軍を襲撃する。
だが、奇跡は二度は続かなかった。
明軍もその大半の兵を失い疲弊していたが、同様にまた、征朝軍も大きく損耗していたことは確かであったのだ。
大軍がその力を発揮し得る平原での決戦であったことも、豊臣軍にとっては大きな打撃を招くこととなった。先ほどの勝利がまるで嘘であるかのように――それでも、自軍の2倍以上の損害を敵兵に与えるという戦果は得ながらも――豊臣軍は手痛い敗北を味わうこととなった。
そして、これがまるで影響したかのように――秀吉の身にも、「終わり」の影が刻一刻と近づきつつあった。
「小一郎・・・小一郎はおるか」
「ここに」
病床に横たわる秀吉の呼びかけに、秀長は応える。すでに光が失われつつあるのか、秀吉の目は虚空を彷徨い、掲げられた手も頼りなく中空にて震えている。
「ご安心を、兄上。私はここにおります」
秀長は兄の手を優しく握りしめる。それは、もはや皮と骨だけになり、皮膚はかさつき、少しでも力を込めれば粉々に砕け散ってしまいそうなほどにか弱かった。
これが、天下人の手だというのかーー。
確かに昔から兄の手はお世辞にも逞しいものではなかったが、しかし常にその手によって小一郎を始め家族や仲間たちは支えられ、助けられてきた。
鄙びた農村の一角で肩身狭く日々を食い繋いでいたあの日から、天下全てを手中に納め、聚楽にて贅の限りを尽くしていたその数年に至るまで、兄の手は汚れることも清められることもありつつも、常に誰かを守るために広げられていた。
だが一方で、兄は本当に、彼が望んでいたものを手に入れられたのだろうか。
「兄上・・・」
秀長は両手で兄の手を包みながら、問いかける。その双眸からは、二筋の涙の跡が頬を伝い、顎に至らんとしていた。
「兄上は・・・これで本当に、良かったので? 私は・・・私はただ、兄と共にいたあの頃が最も幸せだったようにさえ思えます」
そのようなこと。兄の死の間際に言うべき言葉ではないと、秀長も理解してはいたが、言葉は止められなかった。
そのとき、秀吉はふと、秀長の方に顔を向け、そして小さく、笑ったかのように感じた。
「ーーワシは天下人となったのだ。これ以上、幸せなことはあるまい」
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そこに・・・そこにいるのは誰だ?
小一郎か・・・?
いや、もっと小さい・・・頼りない、赤子のような・・・しかし確かに、自らの足で立っている存在・・・
「ーー御父上」
ああ・・・
そうか・・・鶴松・・・お前か・・・
百姓の身から成り上がり、日ノ本の全てを支配する天下人となった藤吉郎。
その生涯の最後において、彼は初めてその愛を全力で差し向けられる存在の魂に触れ、これを抱きしめながら永遠の旅路へと歩み始められたようであった。
1597年3月17日。
天下人・豊臣秀吉。その六十年の生涯に幕を下ろした。
そして、天下の行方は果たしてどのような結末を迎えることになるのか。
次回、第拾壱話。
「天下二分の大乱」編へと続く。
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